気の向いた時の日記

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コロナ陽性日記6日目【最終回】

昨夜就寝したのが午前4時だったので,今朝爽やかに目覚められるかといえばもちろんそうはいかなかった。目覚めたのは10時半。だるい感じで目が覚める。平熱。一晩寝ると、昨夜の胸糞悪すぎる電話のことも忘れかけていた。 薬を飲まなくちゃ!と思いきや、食前に1日3回飲めと言われたツムラ127番の漢方薬と喉の薬はもう昨日で終わっていた。手元に残った薬はカロナール、カルポジステイン、レフブレンのみ。あと、トローチ。ツムラ飲まなくていいのかなぁと多少不安な気持ちは残りながらもついにコロナ明け!と自分を認定しても良いのではないか??だって、熱はない、喉もずいぶん良い、咳も、、、減った。おや、咳が昨日の咳とはまた変わったぞ。昨日までの咳は、1回の咳が重くて大きい感じだったのが、今朝は軽くてコンコンと出る。しかし,頻繁ではないし、もう、社会復帰オッケー!!にする。

朝ごはんを食べて薬。 色々準備してるとコロナ友の1人、m子からライン。すっかり元気になったので今買い出しに来てるとのこと。よかったねーとお互いにコロナ闘病を称え合う。医者妻のa子も完全復帰してるらしい。本当によかった。

私もこれでコロナ陽性日記は最終回にするつもり。 なので,今日は私のコロナ感染を総括する。

1️⃣感染の原因は?

実は私より先にコロナにかかったコロナ先輩から移ったのでは?と当初は思っていた。コロナの潜伏期間は3〜5日。先輩とはコーラスの練習で私のコロナ発症の5日前に向き合って歌を歌っていた。先輩の発症はその翌日。しかし、その2日後友人2人と一緒に熊本市内で飲食。そしてその3日後に3人とも同時に発熱、コロナ認定。かかりつけ医からは間違いなくその飲食時で掛かっていると言うことになった。

2️⃣症状について

普通に仕事していたが、夕方から喉の痛みを感じた。喫煙者なのでいつもの喉痛かな,くらいの感覚だったけど何か違うなぁと感じていた。なんだか体のだるさも感じ、早々に就寝したら21時頃から発熱。その後深夜12時過ぎまで熱は上がり続け最高39.6度。 病院からの薬処方でその後の最高体温は38度が一回だけ。その後の熱はどんどん下がり37度台が3日間、36度台が2日間。熱で辛かったのは初日だけだった。 あとは、3日目から喉の痛みが激しさを増し、これは最後まで残ることになる。咳は比較的少なく、咳止めはもらっていたが1回だけ飲んでいる。喉が腫れてるせいで咳き込んだ時の痰の絡みが切れず息ができない,と思うことが数回あったことが,今回の1番の恐怖だった。

3️⃣困ったこと

私の場合はこの病について困ったことは特になかった。 食事についても初日に買い出ししたので乗り越えられた。そして、身近な仲間が差し入れなどで応援してくれて一人暮らしの私にもなんとか乗り越えられた。本当に困ったことは、私が休んだことで仕事仲間にに迷惑をかけたこと。こればかりは本当に申し訳ない。復帰後挽回するしかありません。

4️⃣心掛けたこと

水を毎日2リットル以上飲むこと。タンパク質,果物を食べること。特にビタミンCを摂る。私はゴールデンキウイをたくさん買い出ししてて、(りんごも)ほぼ毎日食べた。水は寝ても覚めても飲み続けていた。タンパク質はささみ、豚ヒレ、卵くらいしかなかったけど、しかも喉が痛みだしてからはなかなか食べられなかったけど、玄米ご飯に卵かけご飯でなんとか押し込んだりした。 喉痛の対策は、西岡養蜂園のはちみつのど飴が一番効いたような気がする。

5️⃣コロナ感染症とは

個人差がありすぎる。私にとってはただの風邪ではない。なぜなら翌日はどうなる?次は?と日に日に症状が変わることで先が全く見えない不安がある。今回は5日でほぼ完治し、軽症で終われたが、同時に感染した友人二人ともまた症状は違った。一人は初日から咳がひどく咳をすると肺が痛いので腹筋が疲れて大変だったという。あと、これから後遺症の心配があるが、これは今の段階ではまだわからない。軽症で済んだことは、本当にラッキーだった。

6️⃣今後の対策

おそらくこの感染を機会にマスク,消毒を緩めることなく続けると思う。コロナに罹患しても免疫がつくかというとわからないし、何度もかかる人もいる。2度はかかりたくないと思う。食事会も旅行も,かなり今後は慎重になるだろうな。

コロナ感染

新型コロナ陽性

コロナ陽性日記5日目

朝から平熱。喉の痛みが、驚くほどに消えた。 これが、所謂4日目と5日目の劇的な変化か、とコロナ先輩の言葉を思い出す。 昨日の朝は怠さもなくかなり普通の朝,と同じ感覚を持てた。とはいえ、まだ喉の痛みは残っていて、食欲も旺盛なわけではない。今朝もヨーグルトと杏仁豆腐を食べる。薬もフルセットで飲む。熱はないけどカロナールは飲んでおこう。 今日は本当にいつもと違う。なんだろう,頭がクリアになった感じと、頭痛が消えている!! ちょっと気分が上がったので久々にテレビをつけてみた。 朝からNHK朝ドラの『らんまん』の総集編→チコちゃんに叱られる→72時間『西宮のまんぼうトンネル』を観て和む。基本、テレビはNHK系しか観ないので選択肢は常に少なくて済んでいる。 体重計に乗った。 コロナ前から1.5キロは減っている。これは本当にキープしたいところ。でも,この体重減少は明らかに1日のカロリー摂取が激減してしまってるからなので、あと数日間の儚い命であることはわかっている。 でも、今あのスカートは入るかも!とかあのパンツはゆったりと着れるかも!などと妄想してしまう。わざわざ履いてみる気にならないのはめんどくさいのと、社会復帰のタイミングで入らなければ意味がないと思ったから。 今まで録画で撮り溜めていたのでも観ようかなと、録画情報をチェック。 NHK俳句(夏休み)→どうする家康→映像の世紀ビートルズ)→アカデミア(睡眠研究の人)→switchインタビュー(冨永愛×磯田道史)などなど。どれも面白かった。その流れで映画も見ようと思い、これまた昔に撮り溜めて観てなかった『コッホ先生と僕らの革命』を観る。大体私は撮り溜めた映画を見る時は前情報なしに観る。これもドイツ映画とは知らずに観た。なかなか面白い、感動的な映画だった。コッホ先生って、ドイツにサッカーをもたらした先生だったのね。ドイツって日本に本当に似てるなぁ。権威主義,団体主義、全体主義な側面はまるで日本と同じ。ヨーロッパにあってドイツという国は特異な国なんだなぁとしみじみ思う。 そうこうしていると、本日最大の貰い事故的な電話が掛かる。大体,めんどくさい人からの電話だったので一旦出ずにいたが、さっさと済ませた方がいいな,と思って折り返し電話する。そしたら案の定、堪忍袋の尾が切れるほど腹の立つ電話だった。なんか、静養中に出る電話ではないと思った。この電話のせいでコロナの治りが遅れたような気がした。それくらい理不尽で腹立たしい話だったのだ。 電話を切った後も当然その後味の悪さは尾を引き、深夜までこの問題を抱え込むことになる。 耐えられず、コロナ先輩の知り合いの人でもあるので愚痴をラインで聞いてもらう。コロナ先輩もド怒り。先輩に至っては2度と顔も見たくないとまで言い放つ。私もそれに近い感情は芽生えたけど。 そして、今日はまだ休んでいないではないか!と思い、胸糞の悪さを抱えながらも睡眠を取る。 夕方、目覚めてあー、何か食べなくちゃと冷凍の鶏ミンチを取り出し、鶏団子味噌汁を作ることに。冷凍生姜と冷凍椎茸があったので刻んで肉に混ぜ、食感としては玉ねぎが欲しいとこなので玉ねぎみじん切りを混ぜる。あとは味噌汁に投入。片栗粉も入れてるのでツルンとした舌触りがとても良い。 とは言っても,やはりそんなに食欲はないので味噌汁のお椀1杯分で終了。 さて,また一眠りだな,ということで就寝。 そのまま朝を迎えてもよかったんだけど、午前1時過ぎに目覚める。そしてまた例のムカつく電話のことを思い出す。ほんとに腹立たしいったらありゃしない。 イライラしても眠れなくなるだけだし、本当にこれで体に障ったら許さん!と思いつつ、ただいま午前4時。 あと数時間はしっかり眠ろう。 6日目の朝を爽やかに迎えなくては。

コロナ闘病日記

新型コロナ感染症

新型コロナ陽性

コロナ陽性日記4日目

喉が痛すぎで目が覚める。水を飲もうとしたけど一口飲むのも時間がかかる。こんなに喉が痛くなったのは初めてかもしれない。トローチさえも口の中で舐めるだけで溶けたものは飲み込めない。4日目にしてこんなことじゃ長引くのだろうか、、と不安な気持ちになる。 病院からは5日間は部屋にいることを推奨する,といった用紙をもらっていたけど、5日経っても体調が戻らないなら何もできない。 熱は36度8分。時間は6時。薬飲まなきゃ。 食前に飲むツムラ127番と喉の消炎剤を何とか飲み込む。 他の薬も飲まないといけないので朝ごはんを,,と思うけど食欲ゼロ。昨日もらったヨーグルトを開けて、あとりんご,ゴールデンキウイ、小松菜のジュースを作る。どれも飲み込むのが辛くてめちゃ時間かけて飲んだ。 カロナール、咳止め、膿を出すための促進剤?を飲む。 カロナールは,ここにきて威力を発揮する。喉の痛みが消えたのである。 しかし,薬が効いてる間だけだよね。 5日目には普段の生活に戻るもの、と信じていた私は、この4日目の感じが,普段通りとは程遠く,がっかりした気持ちを抑えられなくなってきた。こりゃ、あと3日からくらいはかかりそうなんじゃないか? そんな時,会社から電話。出ない声を振り絞るが、変な声にしかならず。この声にスタッフもたぶんヤバい,と思ったらしく恐縮する。今日は調子が悪いから仕事は休むと伝える。 すると次にまた電話。同じ市民活動中のS氏から。コロナを心配して電話きてくれたみたいだが、この声を聞いて尋常ではないと察知し、今、おべんとうのヒライにいるけど食べ物買ってきましょうか?と言ってくれた。なんて親切な人なんだ,と思いつつも丁寧にお断りした。

コロナ陽性友LINEグループに、今朝の近況報告。 すると一人は私と同じく喉がひどくて辛いと。熱も下がらないと。 もう一人の医者の妻は、良い漢方薬をゲットしたらしく,すっかり元気になっていてた。 コロナ先輩からもラインが来て、4日目と5日目は劇的に変化が来たから4日目をしっかり安静に過ごすことが大事だよ,と教えてくれた。 医者妻より、杏仁豆腐も喉に良いという話を聞き、ダーリンに早速杏仁豆腐を買ってきてもらう。 そして,もう今日は仕事はしない,と決める。 午前中、1時間半ほど睡眠し,午後からも2時間ほど眠る。 でも,結局カロナールが効いてるうちは元気なもので、本読んだりゲームしたりしたくなる。だったら仕事した方が良いのでは?とも思いながら、いや,それはやめとこうと決める。

部屋の気温が上がってるのか体温が上がってるのかわからない感じで汗ばんでくる。エアコンの除湿を入れる。 窓を少し開けておく。 今日は雨予報だったのにめちゃ晴れている。気温は30度くらいかな。 結局、長崎新聞新書の「カクレキリシタン」を読む。長崎にまた行きたくなる。 今日は本来なら音楽ライブで歌うはずだった。しかし、私ともう一人がコロナになり、5人のコーラスグループから2名欠員となれば成り立たず,今回は出演をキャンセルとした。 また,友達からLINE。 その子は私がコロナであることを知らずに,今日のライブはあるのかな?と聞いてきた。それで現状報告。 喉が、喉さえ、腫れと炎症が治れば!! きっと出口が見えてくるはず。

新型コロナ感染症

新型コロナ陽性

新型コロナ闘病日記

新型コロナ自宅療養日記

コロナ陽性日記3日目

私がコロナに罹った事でいろんな方が心配してくれて差し入れを持ってこようとされるんだけど,マジで移るからやめたが良いと思ってる。置き配のようにドアノブにかけておいて貰えば良いんだけど丁寧にピンポン押してくるからドア開けるとすぐそこにいるし。 手洗いうがい,ちゃんとやってよね!

3日目も、朝は穏やか。熱は37度。喉の痛みは日に日に増してくる。そして昨日より食欲減退しているのがわかる。 でも食べないと薬飲めないから,何とか差し入れのヨーグルトを朝食として薬を飲む。 私より4日ほど先にコロナに罹った先輩が私の様子を心配してラインしてくる。 彼女は今日から復帰したらしく、差し入れを持ってくるという。 食べ物は有り余ってるので,トイレットペーパーと洗濯洗剤を頼んだ。 午前中はやはり体が軽く感じる。朝食後、熱を測ると36,2度。 そして,同時にコロナに罹った友人二人のグループラインで会話。もう,我慢できずにお風呂に入ったというa子。私もシャワーするなら体調の良い今だ!と思い、シャワーを浴びる。3日ぶりに髪を洗い体を洗い、、、なんて気持ちが良いのであろうか!!! ちょっとフラフラと地に足がつかない感じはあるけど、無事にシャワーもできてスッキリする。 パソコンに向かい、喫緊のものを片付けようとメールのやり取りをするものの,頭の中はまとまらず、パンフレットのラフを作るにはハードルが高く、断念した。 取り敢えず進められそうなやり取りを続けていくうちに正午となり、先輩が買い物を届けてくれた。ありがたいことにプラスアルファでアイスやヨーグルトも一緒に届く。 薬のために昼食を取ろうとするが、食欲なし。 なんとか先輩からの差し入れのヨーグルトを口の中に押し込む。 そしてバナナ。これで薬が飲めた。 午後からも体調は変わらない様子だったので引き続き仕事をする。 でも,椅子に座ってるととにかく腰が痛くなった。 横になったり椅子に座ったりを繰り返しながら仕事する。 それにしても睡眠が圧倒的に不足していると思う。 18時にはベッドに横になり,寝ることにした。 しかし、、、その夜のこと。 喉が,激しい痛みが襲ってきて水も飲めなくなってしまった。とにかく辛い。 カロナールは1日1錠と決めてるし、今は飲むべきではない,と思い,ただただ我慢している。咳が出たら痰が絡み呼吸ができなくなった。窒息しそうだった。 こりゃ,やばい,,,コロナは呼吸器の病なんだなとその時初めて実感した。 熱は37度。喉の腫れはいつ治るのだろうか。一晩眠ったら少しは回復するんだろうか。処方されたトローチを舐めながら,でも飲み込めないのでただ舐めてはティッシュで拭きながら,喉周りの殺菌を促す。 ここにきて喉の炎症が酷くなるとは。先が思いやられる。 その夜は,結局3,4回は目覚めながら,朝を迎えることになった。

コロナ陽性日記2日目

7月5日。朝6時から36.8℃と、熱が下がっていたが、頭痛は治らない。いつもの朝食である野菜ジュースと玄米とベーコン卵を食べる。食事前にツムラ漢方薬と喉の消炎剤を飲む。 きっと熱が上がるだろうからカロナールを飲む。 他にも咳止め、痰の薬ももらってるけど,まだ飲まなくていいと判断し,飲まず。

熱のないうちにほんとにやることが多いので、寝るのは置いといてメールのチェックをし原稿を作る。 10時過ぎると突然眠くなる。 実はコロナになってあまり眠れていない。夜中も熱が出てるせいか何度も目が覚め,水を飲んだりトイレに行ったりと3回はウロウロする。 ちょっと一眠りする。 昼頃に目覚め、薬を飲む。 やるべき仕事がなかなか進まない。時間がないことだけ焦る。しかもほんとに早く復帰しなければ大変なことになる。ただただ焦る。 だからと言って家でできることは限られているし、今やれることを淡々とやるしかないと自分に言い聞かせる。

カロナールは、とても効く感じはしない。イブの方がきっちり頭痛も熱も下がった。 カロナールは熱は緩やかに下がり、頭痛はそんなに治らない。でも、喉の炎症が辛いのでカロナールを信じて欠かさず飲む。 そして、母にはコロナ罹患は伏せてたけど、かかりつけ医が一緒なので,定期検診で彼女はたまたま5日,先生に会ってしまい、先生が「娘さんには会ってますか」と聞いちゃって,母はそれを敏感にも不審に思い私にライン。あーあ、バレました。 熱はそんなにないし大丈夫、と伝えたけど、食べ物は?飲み物は?とやたらと世話焼こうとするので、全部間に合ってると伝える。

それより何より 厚生会館シンポジウムのチラシ 通信vol.3 早く作ってデザイナーのKちゃんに渡さねばなのに、 遅々として進まず。 寝るべきか仕事すべきかと迷いながらパソコンに向かう。 体調の良い時間帯は仕事!!と決めてやれるだけやる。 うちの事務所は4人しかいなくて一人当たりの比重がめちゃ大きい。休むわけにはいかない状況でこんなに休んでしまって申し訳ないというか信じられないというか。

18時まで仕事して、するとダーリンから食べ物の差し入れが。ヨーグルトやゼリーなど冷たいものをたくさん買ってきてくれた。 夕飯済ませて,夜はもう寝るだけ。 カロナールが切れてきた。だるくなってきた。熱は38度。また上がった。

コロナ陽性日記1日目

7月3日の夕方より喉の痛みを感じ、少し怠い感じもありいつもより早く就寝。すると21時半頃から熱がどんどん出てきてや夜中も眠れないほどに高熱が襲ってきた。最高体温は39.5度。7月1日に食事も共にし同じホテルの部屋に宿泊した友達のことが心配になる。その日は,3人で食事会。年に数回,贅沢な食事をしようという仲間である。熊本市内のときとき、というミシュランでも星をもらってる、推しも押されぬ人気創作和食店がお気に入りで、そこそこお高いお値段だけど、日頃の憂さを晴らすため自分へのご褒美とし、三人三様、それぞれの環境で日々戦ってるアラカンの女子3人、スペシャルなひと時を過ごしてはまた戦場へと繰り出す力を蓄えるのである。
このタイミングでの発熱、、コロナだな、、と頭をよぎる。私自身はワクチンはあまり信用してないので、2回しか打ってない。5回打ってる人も先日,コロナ陽性だったと言ってたので,基本ワクチンは関係ないと自分の中のデータは結論づけている。
まいったな、、コロナだったら後遺症の心配,重症化の心配、そして隔離。今私はとにかくやる事が多くて1日も無駄にできないタイトなスケジュールで物事を進めなくてはならない状況。マジでやばい。体さえ楽になればリモートでもそれはやれるので、まずは軽症であることが最重要である。

あまり眠れないまま朝を迎え、早朝からあちこちの救急病院に電話したが、結局かかりつけ医へ行くように勧められた。
そして、食事した仲間のグループラインに現状報告。すると!
何とみんな同じ症状ではないか。しかも、その中の一人は既に朝からコロナの抗原検査で陽性だったという。
こりゃ,もう間違いないな!と腹を括り掛かりつけ医へ電話してみると、ドライブスルー抗原検査をしてくれるという。
車でお越しください、と言われ、歩いて3分の医院に車で行く。
結果、新型コロナ陽性確定。
会社へ連絡し、体調が戻るまで休むこととし、朝イチでまだ皆んなの出社前に事務所へ行き私のパソコンを取る。
熱冷ましのイブを朝6時に飲んだので,体がみるみる楽になる。その帰りにスーパーで買い出し。私は一人暮らしなので、頼れるものは自分しかいないのである。
元気なうちにやれることをやっておこう。これから症状が変わっていくはずだから,,と直感で感じながら数日分の野菜,タンパク質を買い込む。
思いの外、その日はイブが効いて、ほぼ1日中熱が出ずに体も楽だったので仕事ができた。
しかし、やはり18時頃からだんだん怠さが増してきた。
処方された漢方薬や喉の消炎剤やカロナール。他にも先を見越した咳止めや痰切りの薬など、今はまだ症状が出てないのに持たされたものもあるが、最小限の薬だけを飲む。37℃程度だったのでカロナールは飲まずに我慢する。
さあ、今夜は昨夜のように高熱が出るのだろうか,,と思いきや、最大37.8度程度で治った。
そして、コロナ2日目の朝。
体温を測ると36.8℃!薬飲んでないのにこの体温。ああ,良かった、、
しかし、昨日はそこまでひどくなかった喉の痛みが激しさを増していた。痛い。。唾を飲み込むのもちょっと難儀である。喉の消炎剤は昨日から飲んでいるのになぁと思いながら、日に日に症状が変化していく事を実感した。さあ,今日は解熱剤の力を借りずにリモートで仕事できるかなー。

愛犬が死んで

11月27日、早朝にぴーは逝ってしまった。 18歳9ヶ月の大往生。 この1ヶ月は、ぴーにとって辛い1ヶ月だっただろう。 金魚のフンのようにとこに行くにもついてきてたぴーは私の鏡。 依存してるのはピーでもあり私でもあったことが、いまこの世を去ってしまってよくわかる。 ぴーの姿形も、声も、仕草も、温もりも、柔らかい毛も何もかも愛していたし、目に入れても痛くない、っていう言葉そのままな存在だった。 そんな相棒がいない。 信じられないし、実感はない。

私は心からぴーを愛していたし、今も実はちょっとどこかへ隠れているだけで きっと帰ってきてくれるんじゃないかとさえ思っている。

というのも、あまりにも突然、ぴーは死んでしまったからだ。

確かに、11月にはいってからというもの、 食欲が落ちて、元気がなくなって行った。 11月17日頃より、3日、なにも食べなかったので 病院に連れて行ったら、腎臓がすでに3割程度しか機能していないことが 分かった。 そしてみるみるやせ細って行った。 チュールを嘗めさせても 大好きな牛肉を小さくしてあげても 全く食べようとしなかった。 病院で4時間の点滴を1日おきに5日間、やった。 はじめは、点滴を打った日と次の日は すっかり食欲が戻ったかのように見えたが、 またすぐに食べなくなる、という繰り返しだった。

でも、死ぬとは思わなかった。 亡くなった日も、 午前中から昼にかけては、部屋をあっち行ったりこっち行ったり うろうろできていた。 しかし、夕方からすっかり眠ってしまって、 夜中まで起きずにずっと寝ている。

毎日、一緒にベッドで寝るのだけど、 その日はぴーが全く起きずにいたので 犬用の小さなベッドに寝せて 私の布団に近いところおいた。

すると、朝方、大きな声でずっと吠え出した。 余りにも吠えるのを辞めないので、 ぴーのベッドごと、 私の布団の中に引き入れて寝かせた。 すると、ピタッと泣き止み 私も安心してまた眠りについた。

そして1時間ほど経った朝7時頃、 あまりにも寝息さえも聞こえなくなったので 心配になってピーを見てみたら 目を覚まさない。 心音がしない。 いやいやいや、、嘘だろ! 抱きかかえたらどんなに眠っていても いつも起きていたので 直ぐに抱きかかえてみたら、首が座らない。

息が止まっている。 亡くなったんだ・・・

ようやく、その事実をうけいれるしかなく、 ぴーは死んだんだ、と理解した。

ごめん、ぴー。 あんなに泣いていたのに 私は自分の眠さに勝てずに抱いてやれなかった。 あの時、泣いていた時に抱いてやればよかった。 そう、今私が一番後悔していることは そのことなのだ。

まさか、あの時が最後のぴーの、 全身全霊を込めて訴えていた声だったと 気付くこともなかった自分は 最低である。 最低である。最低である。最低・・・

ぴー、ごめんよ。 淋しがり屋で甘えん坊なのに 最後の最後に私は一緒にくっついてあげていなかった。 いつも私のお腹か足元のあたりに必ず潜り込んで眠っていたのに なぜ、最後の日に、そうしなかったのか。 馬鹿な私。 悔やんでも悔やみきれない。 辛い時は、私の寝相が悪いとぴーに当たってしまうから、 とか、心のどこかで思っていた。 いやいや、そんなことより ぴーに触れていることの方が大切だった。 そんな考えがその日に限って なくて、、、 私はあのぬくもりを最後に触れていなかったことに ショックを受けているのかもしれない。 きっと、ぴーも同じ気持ちだったはず。 だから、朝方泣いたのだ。 力を振り絞って泣いたのだ。 私はそれに答えられなかった。 18年、一緒に、ずっと一緒に生きてきたのに。 最後の時、そばにはいたけど、

離れていた。

私は、一生後悔するだろう。 ずっとこの後悔を忘れることは出来ないだろう。

きっと、どんなに心細かったことか。 自分を分かってくれなかった、と思っているだろう。

ずっとずっと二人で生きてきたのに。

どうすれば、この二人の魂は救われるのか。

あれからもうすぐ1か月経とうとしてるけど、 懺悔の日々は終わらない。

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ぴーが11歳の春