気の向いた時の日記

忙しいけど書きたくなったら書く!

アメリカの小学校と日本の小学校のイジメ対策の違い

うちで発行してる、地元の情報誌にアメリカ在住の方にコラムを書いてもらってるが、この方はアメリカ人の奥さんがバリバリ働き、日本人のご主人は主夫をして、子育て、家事を一手に担っている。 その主夫ぽん太さんによるコラムが毎回目から鱗である。

この記事は、アメリカの小学校のイジメに対する対応が書かれている。

日本と真逆である。 イジメた側は、完全に指導を受ける。 カウンセリングも受ける。 ましてや退学になる可能性もある。 授業中に担当で保護者が入って監視する。

私はアメリカ式が日本より圧倒的に正しいと思う。

雨の日に思う

今日は朝から仕事を休んだ。 この半年間、殆ど休みなしの働きづくめだったし、立ち上げたやつしろぷれすも半年間毎月発行出来たし、たまたま今日は珍しくアポが入ってなかったので思い切って休んでしまうことに決めた。 実質、今の時期は配布時期で、フリーペーパーを作っているので各ご家庭へポスティングしなくてはならない。私達社員は完成品をスポンサーに届けたり、設置店へ置かせてもらいに回ったりしなくてはならない。まだ、私も自分のノルマは終わらせてはいないが、何故か、今日という日の朝は、体を休めなくては、、、という思いが、責任感を上回ってしまった。

多少、罪悪感を感じながらも、雨の音を聴きながら、愛犬と一緒にベッドでゴロゴロしている。 今日は何をしよう。 余りにも散らかった部屋を掃除でもするか。 ウォーキングやランニングを始めたかったからウェアの買い物に行くか。 掃除はいっそのこと、家中やってしまうか。 寒くなって来たし衣替えの第一弾分でもやっておくか。 読みたくて買い込んだ本を読むか。 いつも留守番ばかりさせてしまっていた愛犬と罪滅ぼしにこの際遊んで過ごすか。 ただただ、眠って過ごすか。

私の考える休みの過ごし方なんて、 本当に貧相だし夢がないなあと、書き連ねると恥ずかしくなってしまう。

本当だったら 1日だけとはいえ、貴重な休みをもっと 楽しめることに使えばいいのに、とも思う。 だけど、今日は雨の音を聴きながら ずっと外で放出して来たエネルギーを じっと家の中で蓄えたい。 だから、おそらく上記に書いた休みの過ごし方をきっとやって1日が終わるんだろう。

私は雨の日が好き。 色んなモノが充電されて行く感じがする。 雨が土に浸透し木が、草が、川が潤い、力となる。 そんな感じが人間にも動物にも、雨による充電ってあるような気がして。

しずしずとした雨の音。

心地よくて、ひとまずは眠ってしまおうかな。

商店街奮闘記の終了

ついに、今月末で私のライフワークとまでなった商店街活性化活動が終わる。 正直離れたくない思いも多少はあるが、次に進む道に対する希望の方が大きくて、早くスイッチを切り替えたい思いが強いと思う。

この7年間を振り返って感じることは、商店街とは、行政とは、分かり合えなかったという不毛感。虚無感。しかし、自分としてはやれる事は全部やったという充実感。結果なんて何もない。なんとか現状維持できたくらい。

みんな、同じ方向を向いてなくて、形上だけ向いてるふりして、その旗振りが私。 私は心から活性化を願い、やれる事をやったが、周りから感じられることはその想いのかけらもなかった。 そんな、四面楚歌に近い環境の中で良くやったよ、私。

本気で取り組んだ7年間だったから、振り返ると感傷に浸って泣きそうではあるが、こんな思いを共有できる仲間が欲しかった。本当の意味で孤立無援の7年間。全てが無駄ではなく何もかもが私の血となり肉となりこれからの人生に活かせるだろう。

次のプロジェクトでは、同じ方向に手を繋いで突進できる仲間たちと、パワーの相乗効果を上げながら立ち向かえることを期待する。 もっともっと、ダイナミックに、やったことの手応えを感じたい。

身体に染み着き出した狭い世界の考え方をとっとと捨ててしまって、本当に大切な事を、お互いの意見をぶつけながら、高めあいながら前へ進んでいきたい。

やつしろぷれす、 始まります。

折々の詩2

うしなう 江國香織

私をうしないたくない と

あなたはいうけれど

私をうしなえるのは あなただけよ

遠くにいかないでほしい と

あなたはいうけれど

私を遠くにやれるのは

あなただけよ

びっくりしちゃうな

もしかしてあなた

私をうしないかけているの?

30代の頃、この詩の本のタイトルである 「すみれの花の砂糖づけ」 に惹かれて買って読んだ。 思いがけず心と言葉の本質を捉えた詩に 何度も読み返した。

高村光太郎

「レモン哀歌」 高村光太郎

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた

かなしく白くあかるい死の床で

私の手からとつた一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズいろの香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱつとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉に嵐はあるが

かういふ命の瀬戸ぎはに

智恵子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時

昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして

あなたの器官はそれなり止まつた

写真の前に挿した桜の花かげに

すずしく光るレモンを今日も置かう

あまりにも有名な高村光太郎の詩。

智恵子と光太郎の、愛の物語は詩によって美しくなった。

折々の詩

「思いは うつりかわり うつりかわり  かげろうのよう ひとつの事を 考えつめようとしても もう次の考えに うつってしまいます 外のけしきが一日一日と うつりかわってゆくからです

おばけのような桜が おわったとおもうと 遅咲きの八重桜 すみれや れんぎょう 花厨王 黄色い山ぶき 雪柳 なんとすごい  なんとすごい  季節でしょう」         大島弓子綿の国星』 

なんとすごい季節はもうそこまできている。 この季節になると必ずこの一節を思い出しては読み返す。 大島弓子の感性が好き。 チビ猫の眼に映る世界が、すごくリアリティがあって、 一方では猫の一生の短さに気づかされる。

夏雲 2015.8月

8月も10日を過ぎた。 今年は夏のスタートダッシュが遅かったような気がする。 台風がやってきて梅雨が長引いて、夏の始まりは7月の終わりのほうだった。 いつまでもじめじめとした、肌寒い日多かった。 本当にカラッとした真夏日というのはようやく8月にはいってから、という感じだった。

実は、夏が一番好きな季節だ。 どんなに暑くても、青い空とギラギラと光る太陽と、白い入道雲があると 子供の頃を思い出すし夏休みをイメージするし、 つまり、一番楽しかった頃と直結しているのだ。 一番楽しかった頃・・・ 私の場合は小学生から中学生時代である。 何の悩みもなくて、ただ与えられた環境に素直に溶け込んで、その枠の中で 十分に伸び伸びとイキイキと楽しい日々を送ってきた。 自分自身におそらく自信があった。 なんでもやれると思っていたし、はっきり言って、何もかもが思い通りになると本気で思っていた。 なんて幸せだったのだろうか。

当然そんな思いは高校生になり大学受験があり、一歩一歩成長するにつれて思い通りにならないことがわかってくる。 だけど、社会人になっても心のどこかではまだ、「自分に出来ないことはない」という思いを持っていた。 今思えばなんとも言えないのぼせ上った人間だったのだろうかと思う。 そんな自分の、変な自信を完全に壊されてしまう出来事がちゃんとやってきた。 30歳頃だったかと思う。 具体的なことは書けないが、つまりは絶対にそういう時は人間やってくるわけである。 その、初めての本当の意味での人生の挫折。 どんなにもがいてもどうしようも出来ない。ただただ、転がるように悪い状況は悪いほうにしかいかない。恐怖で寝れない日々が続いた。 明日、朝起きたら状況がかわっているかもしれない、と本気で思いながら日々を過ごしたりした。しかし、そんなことはないのである。 絶対絶命。まさにその時がきたのである。生まれて初めてのどん底に落ちる時が。

一度、人生でどん底に落ちたらいろんなことを学ぶ。 その最たることは、人の痛みを知る、ということである。 これはあくまで持論であって、世の中の人はそうは思わないかもしれないけど。 そして、自分が今生きていることさえも奇跡に思える。 生まれてきたことに対する感謝を感じる。 両親の偉大さに気が付く。 回りの友人の温かさに感動する。 本当に大切なこととは一体なんなのかがわかってくる・・・ そう、一度落ちてしまうと、その次にやってくることはすべての景色が変わってしまう、ということなのである。 つまり、落ちるならとっとと落ちてしまったほうがいいのである。 すると、本当にそれ以上落ちることができないとこまでいくと、あとは上がっていくしかなくなるということは本当だった。

そして、落ちてしまった時に自分自身が同じ穴に落ちないための教訓を得る。 そうやって時が過ぎていくうちに、喉元過ぎればなんとやら・・な状況がまたやってきてしまう。 しかし、その時の状況はどん底前とどん底後では雲泥の差である。 一度味わった地獄の思いはやはり忘れることはないのである。 そこには、あの子供の頃の夏空のような、一点の曇りもないどこまでも澄んだ心はもうない。 だからこそ、今思うのは、あの子供の頃の絵に描いたような天真爛漫な心持がとても懐かしく感じられてしまう。

二度と戻れない、悩みのない、夏雲のように湧き上がる思いを抑えることもせずにただただ突き進んでいくだけだった時代。

夏は、そんな時を思い返させてくれる季節。戻れなくてもその頃の自分を切なく思い出させてくれる。