気の向いた時の日記

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愛犬が死んで

11月27日、早朝にぴーは逝ってしまった。 18歳9ヶ月の大往生。 この1ヶ月は、ぴーにとって辛い1ヶ月だっただろう。 金魚のフンのようにとこに行くにもついてきてたぴーは私の鏡。 依存してるのはピーでもあり私でもあったことが、いまこの世を去ってしまってよくわかる。 ぴーの姿形も、声も、仕草も、温もりも、柔らかい毛も何もかも愛していたし、目に入れても痛くない、っていう言葉そのままな存在だった。 そんな相棒がいない。 信じられないし、実感はない。

私は心からぴーを愛していたし、今も実はちょっとどこかへ隠れているだけで きっと帰ってきてくれるんじゃないかとさえ思っている。

というのも、あまりにも突然、ぴーは死んでしまったからだ。

確かに、11月にはいってからというもの、 食欲が落ちて、元気がなくなって行った。 11月17日頃より、3日、なにも食べなかったので 病院に連れて行ったら、腎臓がすでに3割程度しか機能していないことが 分かった。 そしてみるみるやせ細って行った。 チュールを嘗めさせても 大好きな牛肉を小さくしてあげても 全く食べようとしなかった。 病院で4時間の点滴を1日おきに5日間、やった。 はじめは、点滴を打った日と次の日は すっかり食欲が戻ったかのように見えたが、 またすぐに食べなくなる、という繰り返しだった。

でも、死ぬとは思わなかった。 亡くなった日も、 午前中から昼にかけては、部屋をあっち行ったりこっち行ったり うろうろできていた。 しかし、夕方からすっかり眠ってしまって、 夜中まで起きずにずっと寝ている。

毎日、一緒にベッドで寝るのだけど、 その日はぴーが全く起きずにいたので 犬用の小さなベッドに寝せて 私の布団に近いところおいた。

すると、朝方、大きな声でずっと吠え出した。 余りにも吠えるのを辞めないので、 ぴーのベッドごと、 私の布団の中に引き入れて寝かせた。 すると、ピタッと泣き止み 私も安心してまた眠りについた。

そして1時間ほど経った朝7時頃、 あまりにも寝息さえも聞こえなくなったので 心配になってピーを見てみたら 目を覚まさない。 心音がしない。 いやいやいや、、嘘だろ! 抱きかかえたらどんなに眠っていても いつも起きていたので 直ぐに抱きかかえてみたら、首が座らない。

息が止まっている。 亡くなったんだ・・・

ようやく、その事実をうけいれるしかなく、 ぴーは死んだんだ、と理解した。

ごめん、ぴー。 あんなに泣いていたのに 私は自分の眠さに勝てずに抱いてやれなかった。 あの時、泣いていた時に抱いてやればよかった。 そう、今私が一番後悔していることは そのことなのだ。

まさか、あの時が最後のぴーの、 全身全霊を込めて訴えていた声だったと 気付くこともなかった自分は 最低である。 最低である。最低である。最低・・・

ぴー、ごめんよ。 淋しがり屋で甘えん坊なのに 最後の最後に私は一緒にくっついてあげていなかった。 いつも私のお腹か足元のあたりに必ず潜り込んで眠っていたのに なぜ、最後の日に、そうしなかったのか。 馬鹿な私。 悔やんでも悔やみきれない。 辛い時は、私の寝相が悪いとぴーに当たってしまうから、 とか、心のどこかで思っていた。 いやいや、そんなことより ぴーに触れていることの方が大切だった。 そんな考えがその日に限って なくて、、、 私はあのぬくもりを最後に触れていなかったことに ショックを受けているのかもしれない。 きっと、ぴーも同じ気持ちだったはず。 だから、朝方泣いたのだ。 力を振り絞って泣いたのだ。 私はそれに答えられなかった。 18年、一緒に、ずっと一緒に生きてきたのに。 最後の時、そばにはいたけど、

離れていた。

私は、一生後悔するだろう。 ずっとこの後悔を忘れることは出来ないだろう。

きっと、どんなに心細かったことか。 自分を分かってくれなかった、と思っているだろう。

ずっとずっと二人で生きてきたのに。

どうすれば、この二人の魂は救われるのか。

あれからもうすぐ1か月経とうとしてるけど、 懺悔の日々は終わらない。

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ぴーが11歳の春