気の向いた時の日記

忙しいけど書きたくなったら書く!

商店街奮闘記の終了

ついに、今月末で私のライフワークとまでなった商店街活性化活動が終わる。 正直離れたくない思いも多少はあるが、次に進む道に対する希望の方が大きくて、早くスイッチを切り替えたい思いが強いと思う。

この7年間を振り返って感じることは、商店街とは、行政とは、分かり合えなかったという不毛感。虚無感。しかし、自分としてはやれる事は全部やったという充実感。結果なんて何もない。なんとか現状維持できたくらい。

みんな、同じ方向を向いてなくて、形上だけ向いてるふりして、その旗振りが私。 私は心から活性化を願い、やれる事をやったが、周りから感じられることはその想いのかけらもなかった。 そんな、四面楚歌に近い環境の中で良くやったよ、私。

本気で取り組んだ7年間だったから、振り返ると感傷に浸って泣きそうではあるが、こんな思いを共有できる仲間が欲しかった。本当の意味で孤立無援の7年間。全てが無駄ではなく何もかもが私の血となり肉となりこれからの人生に活かせるだろう。

次のプロジェクトでは、同じ方向に手を繋いで突進できる仲間たちと、パワーの相乗効果を上げながら立ち向かえることを期待する。 もっともっと、ダイナミックに、やったことの手応えを感じたい。

身体に染み着き出した狭い世界の考え方をとっとと捨ててしまって、本当に大切な事を、お互いの意見をぶつけながら、高めあいながら前へ進んでいきたい。

やつしろぷれす、 始まります。

折々の詩2

うしなう 江國香織

私をうしないたくない と

あなたはいうけれど

私をうしなえるのは あなただけよ

遠くにいかないでほしい と

あなたはいうけれど

私を遠くにやれるのは

あなただけよ

びっくりしちゃうな

もしかしてあなた

私をうしないかけているの?

30代の頃、この詩の本のタイトルである 「すみれの花の砂糖づけ」 に惹かれて買って読んだ。 思いがけず心と言葉の本質を捉えた詩に 何度も読み返した。

高村光太郎

「レモン哀歌」 高村光太郎

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた

かなしく白くあかるい死の床で

私の手からとつた一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズいろの香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱつとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉に嵐はあるが

かういふ命の瀬戸ぎはに

智恵子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時

昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして

あなたの器官はそれなり止まつた

写真の前に挿した桜の花かげに

すずしく光るレモンを今日も置かう

あまりにも有名な高村光太郎の詩。

智恵子と光太郎の、愛の物語は詩によって美しくなった。

折々の詩

「思いは うつりかわり うつりかわり  かげろうのよう ひとつの事を 考えつめようとしても もう次の考えに うつってしまいます 外のけしきが一日一日と うつりかわってゆくからです

おばけのような桜が おわったとおもうと 遅咲きの八重桜 すみれや れんぎょう 花厨王 黄色い山ぶき 雪柳 なんとすごい  なんとすごい  季節でしょう」         大島弓子綿の国星』 

なんとすごい季節はもうそこまできている。 この季節になると必ずこの一節を思い出しては読み返す。 大島弓子の感性が好き。 チビ猫の眼に映る世界が、すごくリアリティがあって、 一方では猫の一生の短さに気づかされる。

夏雲 2015.8月

8月も10日を過ぎた。 今年は夏のスタートダッシュが遅かったような気がする。 台風がやってきて梅雨が長引いて、夏の始まりは7月の終わりのほうだった。 いつまでもじめじめとした、肌寒い日多かった。 本当にカラッとした真夏日というのはようやく8月にはいってから、という感じだった。

実は、夏が一番好きな季節だ。 どんなに暑くても、青い空とギラギラと光る太陽と、白い入道雲があると 子供の頃を思い出すし夏休みをイメージするし、 つまり、一番楽しかった頃と直結しているのだ。 一番楽しかった頃・・・ 私の場合は小学生から中学生時代である。 何の悩みもなくて、ただ与えられた環境に素直に溶け込んで、その枠の中で 十分に伸び伸びとイキイキと楽しい日々を送ってきた。 自分自身におそらく自信があった。 なんでもやれると思っていたし、はっきり言って、何もかもが思い通りになると本気で思っていた。 なんて幸せだったのだろうか。

当然そんな思いは高校生になり大学受験があり、一歩一歩成長するにつれて思い通りにならないことがわかってくる。 だけど、社会人になっても心のどこかではまだ、「自分に出来ないことはない」という思いを持っていた。 今思えばなんとも言えないのぼせ上った人間だったのだろうかと思う。 そんな自分の、変な自信を完全に壊されてしまう出来事がちゃんとやってきた。 30歳頃だったかと思う。 具体的なことは書けないが、つまりは絶対にそういう時は人間やってくるわけである。 その、初めての本当の意味での人生の挫折。 どんなにもがいてもどうしようも出来ない。ただただ、転がるように悪い状況は悪いほうにしかいかない。恐怖で寝れない日々が続いた。 明日、朝起きたら状況がかわっているかもしれない、と本気で思いながら日々を過ごしたりした。しかし、そんなことはないのである。 絶対絶命。まさにその時がきたのである。生まれて初めてのどん底に落ちる時が。

一度、人生でどん底に落ちたらいろんなことを学ぶ。 その最たることは、人の痛みを知る、ということである。 これはあくまで持論であって、世の中の人はそうは思わないかもしれないけど。 そして、自分が今生きていることさえも奇跡に思える。 生まれてきたことに対する感謝を感じる。 両親の偉大さに気が付く。 回りの友人の温かさに感動する。 本当に大切なこととは一体なんなのかがわかってくる・・・ そう、一度落ちてしまうと、その次にやってくることはすべての景色が変わってしまう、ということなのである。 つまり、落ちるならとっとと落ちてしまったほうがいいのである。 すると、本当にそれ以上落ちることができないとこまでいくと、あとは上がっていくしかなくなるということは本当だった。

そして、落ちてしまった時に自分自身が同じ穴に落ちないための教訓を得る。 そうやって時が過ぎていくうちに、喉元過ぎればなんとやら・・な状況がまたやってきてしまう。 しかし、その時の状況はどん底前とどん底後では雲泥の差である。 一度味わった地獄の思いはやはり忘れることはないのである。 そこには、あの子供の頃の夏空のような、一点の曇りもないどこまでも澄んだ心はもうない。 だからこそ、今思うのは、あの子供の頃の絵に描いたような天真爛漫な心持がとても懐かしく感じられてしまう。

二度と戻れない、悩みのない、夏雲のように湧き上がる思いを抑えることもせずにただただ突き進んでいくだけだった時代。

夏は、そんな時を思い返させてくれる季節。戻れなくてもその頃の自分を切なく思い出させてくれる。

2月7日土曜日の出来事

なんだかむしゃくしゃする。 この日は夜7時半からお祝いの食事会だった。 誰のお祝いかというと、私が携わる高校生フェスティバルという、商店街活性化のためのイベントをやっているが、昨年のこのイベントの実行委員長だった子が見事志望大学に合格したのでそのお祝いの食事会だった。

何がむしゃくしゃするのかというと、 この食事会は何も関係ない。 その直前の出来事なのである。

私は自分の所属する事務所のシャッターを締め、食事会に行く準備をしていた。 私の事務所は、商店街の中にあり、「たまりんば」という、コミュニティ施設の一角を事務所として利用している。 たまりんばの管理も行っている。 たまりんばの営業時間は10時〜18時。 いつも18時より遅めに締めている。 利用者は多かったり少なかったりで、この日は比較的少なく、勉強しに来ていた高校生達も時計を確認して帰って行った。

事務所の中で、身支度を進めているといきなり人がたまりんばに入ってきた。 男の人で見るからに怪しさが漂う。 年齢は50代半ばから後半、といったところだろうか。 髪の毛は金髪に染めている。 目が異様にギョロッとしている。 痩せ型で身長は165センチくらい。 わりとスポーティーな服装で、自転車に乗ってきていた。

「◯◯さん、いらっしゃいますか」 わたしの名前を呼ぶ。 今頃誰だろう、と思ってドアを開けると、その男が立っていた。

〈続く〉

お茶の日

今日はお茶を500杯入れた。お茶とは煎茶だ。
地元の祭り、妙見祭の前夜祭、御夜でのこと。
水はわざわざ熊本の名水百選に選ばれた妙見中宮から汲んできた。
わたしはここの水が大好きで、この水を飲むと身体の中が浄化されていくような気になる。
この水をお茶として振る舞ったら絶対にみんな喜んでくれるはず!と思って、20リットル入りのタンク10個も汲んできたのだ。
あまりにも重いので若い子たちに休日返上でお願いし、運んでもらった。

そして、今夜、御夜と言われる妙見祭の前夜祭が始まり、私も言い出しっぺではあるものの、本当にみんな喜んでくれるのかは見てのお楽しみ!と思いつつ振る舞いをスタートしたのだ。
お茶葉の種類は玉露。妙見祭保存振興会会長からの協賛だ。
200年以上続く呉服屋の女将さんから煎れ方を教わりつつも次から次へとお茶を淹れる。
スタートすると同時に人が押し寄せてきた。やはりただのものには群がるのがこの地域の人たちの習性だ。
それにしてもたかがお茶なのに、お茶でもこんなにみんな期待して行列を作ってくれるなんて、少しびっくりした。
しかし、びっくりしている暇はない。
ただひたすらに私はお茶を淹れ続けないと追いつかないのだ。
そうこうしてる間にお湯が足りなくなり手伝ってくれたほかの女将さんが自分の店からあと2台の湯沸かしポットを持ってきてくれて大急ぎでお湯を沸かした。
その間も人は増え続け待っているお客さんは長蛇の列を作る。
お茶は熱過ぎては美味しくない。せっかく苦労して汲んだ名水が活きるように美味しく煎れたい。そのためには六十度ほどに冷ましたお湯で淹れなくてはならないが冷ます暇がない。
熱過ぎてもそこそこ美味しく飲めるように紙コップ半分位の量で配ると、みなさん美味しいと喜んでくれた。
100杯過ぎる頃から要領を得てきてからか、お客さんがおかわりを言ってくるようになった。ありがたい。
そして500杯、淹れ切った。
もう、私は煎茶マスターと言ってもいいのではなかろうか。
お茶の色、温度、量によって美味しさの変わる煎茶を独自に理解できたような気がしている。

振る舞いが終了したのはスタートしてから2時間後。この2時間、私はお茶の事だけを集中し分析し全力で立ち向かった。
終わった時の爽快感たるや半端なかった。

しかし、かの名水はポリタンク7個も余ってしまった。量を計算できていなかったのである。
まあ、明日からどれだけでもこの美味しい水が飲めると思えば、個人的に嬉しいことだけども。
今日磨いた煎茶の腕を錆びつかせないように、今後も煎茶を美味しく淹れることを続けていこう。
なんだか、ひとつ楽しみが生まれたな!